17歳からバイオリンは始めました。
初めは自分流に弾いていましたが、しばらくしてからはレッスンに通うようになりました。その先生に習っていて、だんだんもっと練習したくなりました。単純に考えて、音楽学校と言うところに行けば、『授業料さえ払えばレッスンやオーケストラや室内楽やその他の授業も受けれる』と言う、なんと単純な考えで、しかも私立の音楽大学は入学金や授業料も高いので公立しかないなと。しかも家から通える公立の音楽大学は京都市立芸術大学しかありませんでした。
当時音楽の仲間が数人いました。チェロやオーボエ、ファゴットなどの仲間です。もちろんみんな音楽大学に行こうと軽い約束をしました。
その音楽の仲間たちは、やはり同じ学校の京都市立芸術大学に行くようになりました。
私は17歳からバイオリンを練習し、22歳で音楽大学に合格しました。
18歳から毎年受験しました。
周りの人からは大変心配されました。
しかし私の父親は特に金銭的な援助はありませんでしたが、時間と言うものをくれました。
父は私が行うことを信じて待っててくれました。
今では授業料も高くなってなかなかできないと思いますが、当時の京都市立芸術大学の授業料は年間98000円でした。自分でアルバイトして卒業しました。
それから芸術大学に入学してからは1日中バイオリンを弾く毎日でした。
京都の観光なんかはほとんどしていませんね。
芸術大学に入学してからはカリキュラム通り授業を受けて、バイオリンのレッスンもほぼ毎週あって、その時教わってた先生の名前は岩渕竜太郎と言いますが、日本の音楽の歴史には必ず出てくる重要な方です。
バイオリンを習う際に考える際に重要な事は、巨匠(超一流の先生)に習うと言う事が重要です。
そしてそれをちゃんと噛み砕いてくれるアシスタントの良い先生にも習うことも大切です。
超一流のプレイヤーに会ってオーラを感じて、音楽のレッスンをしていただくと言うのは、何物にも変えがたい貴重な大切なことです。
自分は必要なときには必ずと言っていいほどそういう超一流のいい人との出会いがありました。
音楽大学に入学する前には、私の受験生としてのサポートを全面的にしてくれていたバイオリンの職人さん(人生の恩人です)
入学してからは、岩渕竜太郎先生。
九州交響楽団で仕事をするようになってからは、コンサートマスターの今は亡き松村さんだったり指揮者の黒岩先生、小泉和裕先生です。
27歳で九州交響楽団に入団してから10年目の37歳の時に第二バイオリンの首席奏者になりました。一般公募のオーディションですから、外部からも数人受験しに来ました。
このオーディションも1回目2回目のオーディションでは合格でなく、私は3回目に合格しました。
そして、2019年に退団しました。
オーケストラに入団してからがとてもたくさん練習もしたし、勉強になりました。
自分のテクニックの弱いところをオーケストラの仕事と言うのは突っ込まれてきますので、結果自分のテクニックが安定したと思います。
オーケストラの仕事は今考えると時間がたくさんとられてとても疲れるし大変です。
でもいろんな音楽を経験させられるので、音楽の幅が広がりました。
退団するまで仕事は続きましたが、今、オーケストラの仕事から離れて、自分の好きな音楽だけ弾くような毎日ですが、この38年のオーケストラ生活で、培った技術や体は『何物にも変えられないなぁ』と思います。
ざっくり言うとこんな経歴です。
自分は特に華やかなコンクールに入賞したわけでもなく、入学試験 首席のオーディションと言うものに立ち向かって行った結果ですね。
振り返ってみると、いつの時期が今の自分を作ったのかと思えば、それはバイオリンを始めた17歳から京都市立芸術大学に合格するまでの22歳までのこの5年間が人生の基礎になったように思います。
人がうまくいっているときは、実はあまり進歩していないのかもしれません。大学に合格もせず、することも何もかも安定もしなくて結果も出せず、悶々としていた。17歳から22歳までが精神的に成長していく時期だったと思います。
今の時代1つのことに執着して生きていくと言うより、いろんなことを多方面にわたって知って、うまく世の中を泳いでいくのが得なような気もしますね。
でもそれは違うと思います。
自分は山に登るのが好きで、近頃はなかなかそういう時間も取れませんが、山頂を目指して登るわけですが、いろんなルートがあるわけです。
❶登る道はなだらかだけど、時間がかかる道。
❷急な上り道だけど、時間は少し早く山頂に到着する道。
上りでも下りでも山では道に迷うことがあります。
迷った時、自分も経験がありますが、結構長い距離を歩いています。
多分ここの分岐点で迷ったんではないかと言うとこまで戻る勇気があるかないかで遭難するかしないかと言うことになります
数年前、屋久島に登りました。私は途中で疲れたので、仲間はまだ登ると言って先へ進みましたが、私はもうしんどいので下山して
『駐車場で待ってるからね』と下山しました。
そしたら道に迷ったのです。
1人でした。
その時、多分ここで間違ったんだろうと言うところまで戻りましたが、結構な距離の道迷いの距離でした。
元の登山道に戻れたので、無事駐車場まで帰れましたが、あの時『まぁこのまま行ってみよう』とそのまま進んでいたら、多分山深く入っていき、夕方になり暗闇の中で遭難してたかもしれません。
なぜこんな山の話をしたかと言うと、人生もそういう気がします。音楽を追求してこのまま行っていいものかどうかよく考えた方が良いです。しかし、一旦決めたら正しい登山ルートで行くべきです。
若い人は何にでもなれると思います。
自分が本当にこれをやりたいと思うようなことがあるのなら、命かけてやってください。
一生懸命やってたら人は助けてくれます。
また良い方向に導いてもくれます。
荒田和豊🏡