今日、ひさしぶりにLeandro BISIACH
の弦を交換しました。
ドミナントを張って、しばらく弾いていました。
このヴァイオリンとは、もうずいぶん長い付き合いになります。
以前、E.DEGANI
とL.BISIACH
どちらを手放すか迷ったこともありました。
結局、私はL.BISIACHを残しました。
理由はいろいろあります。
音のこともありますが、それ以上に、この楽器は私の身体にとても自然に入ってくる。
肩当てをしなくても、不思議なくらい何の抵抗もなく身体に収まります。
そして今日、弾きながらふと思いました。
なぜそんなことを思ったのか。
いつ手放すことになるのかは分かりません。
まだずっと先かもしれない。
案外、そう遠くないかもしれない。
それは分かりません。
でも、いつか別れる日は来ます。
だったら、大切だからとケースの中にしまっておくのではなく、
一緒にいられる間に、できるだけ一緒に音楽をしたい。
そんなことを思いました。
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チワワが二匹います。
ジャスミンとベルです。
ジャスミンは16歳になりました。
ベルは保護犬なので正確な年齢は分かりませんが、8歳くらいでしょうか。
二匹とも、毎日そばにいます。
だから、つい明日も同じようにいるような気がしてしまいます。
でも、本当はそうではありません。
そんなことは誰にも分かりません。
もちろん、そんなことばかり考えて暮らしていたら寂しくなってしまいます。
だから私は、残された時間を数えたいわけではありません。
そうではなくて、
それだけのことです。
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人間は不思議なもので、大切なものほど「いつでもできる」と思ってしまいます。
今度弾こう。
今度遊ぼう。
時間ができたら会おう。
また今度話そう。
でも、その「今度」が何回来るのかは誰にも分かりません。
これは悲しい話ではないと思っています。
むしろ反対です。
終わりがあるから、今日が大切になる。
少し怖い言葉のようにも聞こえます。
でも私は、この言葉を「死について考えなさい」という意味だけでは受け取っていません。
限りがあることを忘れずに、今を生きなさい。
そんな言葉なのではないかと思っています。
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ヴァイオリンもそうです。
犬たちもそうです。
そして、人との付き合いもきっと同じでしょう。
大切なのは、どれだけ長く所有したかでも、どれだけ長く一緒に暮らしたかでもないのかもしれません。
一緒にいられる時間に、どれだけ一緒にいられたか。
同じ部屋にいる、という意味ではありません。
ちゃんと相手を見る。
ちゃんと触れる。
ちゃんと話す。
そしてヴァイオリンなら、ちゃんと弾く。
L.BISIACHも、いつか私の手元から離れるでしょう。
「その日が来たら、大橋さんや堤さんのヴァイオリンと、また仲良くなればいい。」
でも今は、L.BISIACHがいる。
だから弾こうと思います。
ジャスミンもいる。
ベルもいる。
だから今日、抱っこして、遊んでやろうと思います。
未来のことは分かりません。
でも、今日一緒にいられることだけは分かっています。