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《達人は、簡単そうに見える》

🍵あらやんの独り言☕️
タイトル《達人は、簡単そうに見える》
昨夜、タブレット純さんの動画を見始めた。

最初は「なんだ、この人は」と思った。

ぼそぼそと喋る。

どこか頼りなさそうで、何を言い出すのか分からない。

ギターを持って、昔の歌謡曲を歌ったり、妙な話をしたりする。

ところが、見ているうちにやめられなくなった。

気がつけば、夜中の3時まで見ていた。

なぜこんなに面白いんだろう。

何本も見ているうちに、少しずつ分かってきた。

この人、ギターがとても上手い。

歌もちゃんとしている。

昭和歌謡についても、ものすごくよく知っている。

そして何より、あの頼りなさそうな喋り方も、妙な間も、突然出てくる言葉も、実はかなり考えられているのではないか。

適当にやっているように見えて、適当ではない。

「この人、全部計算しているんじゃないか」

そう思った途端、ますます面白くなった。

 

そういえば、少し前に画家の柴崎春通さんの動画を見ながら、一緒に犬の絵を描いてみた。

柴崎さんは、

「ここをこんなふうに描いて……」

という感じで、いとも簡単そうに描いていく。

見ていると、自分にもできそうな気がしてくる。

それで私も同じように描いてみた。

柴崎さんの画面には、見事な犬が現れた。

私の紙には、なんだかよく分からない犬がいた。

おかしい。

同じように描いたはずなのに。

そこで初めて気がつく。

柴崎さんが何気なく引いた一本の線は、ただの一本の線ではないのだ。

長い年月、ものを見て、描いて、失敗して、また描いてきた人の一本の線なのだろう。

簡単そうに見える。

でも、簡単ではない。

 

タブレット純さんを見ていて、もう一人、昔の芸人を思い出した。

早野凡平さんである。

帽子を使った芸で有名だったが、私の記憶に強く残っているのは、金属のはしごを使った芸だ。

子どもの頃は、ただ「面白いなあ」と見ていた。

しかし今思い返すと、あれはとんでもない芸だった。

はしごと身体の重心を自在に操り、危なっかしく見せながら、ちゃんと笑いにする。

一歩間違えば転倒する。

それを「すごいでしょう」と見せるのではなく、笑わせてしまう。

あれもまた、簡単そうに見せるために、どれほど身体に芸を叩き込んだのだろう。

 

山田五郎さんの美術の話にも、どこか同じものを感じる。

難しい美術史の話をしているのに、難しい話を聞いている感じがしない。

雑談を聞いているうちに、気がつけば一枚の絵の背景や、その時代のことまで少し分かったような気持ちになっている。

でも、あんなふうに話すためには、その何十倍、何百倍ものことを知っていなければならないはずだ。

知識を見せびらかさない。

技術を見せびらかさない。

それなのに、見ているうちに、

「あれ? この人、ものすごい人なんじゃないか」

と、こちらが気づいてしまう。

私は、そういう人が好きなのかもしれない。

 

そして考えてみれば、これは音楽も同じなのではないか。

難しい曲をものすごい速さで弾く。

それももちろん素晴らしい。

けれど、誰でも知っている簡単な旋律を、何でもない顔をして美しく弾く。

こちらの方が、ひょっとするとずっと難しい。

音程、音色、弓の使い方、フレーズ、呼吸。

本当はいろいろなことを考えている。

長い年月をかけて身体に入れてきたものもある。

でも、それを全部聴く人に説明する必要はない。

ただ一つの旋律が自然に流れて、

「なんだか、この音はいいな」

と思ってもらえれば、それでいいのかもしれない。

 

若い頃は、すごいものは「すごそうに見える」と思っていた。

けれど、この歳になって少し考え方が変わってきた。

本当にすごい人は、案外すごそうに見えない

簡単そうに描く。

雑談のように話す。

ぼそぼそ喋りながらギターを弾く。

はしご一本を持って舞台に出てくる。

そして、こちらが後になって気づく。

「この人、とんでもないことをやっていたんだな」と。

実力というものは、わざわざ前に出さなくてもいいのかもしれない。

長い時間をかけて身につけたものなら、隠していても、どこかから滲み出てくる。

そんなことを考えながら、昨夜もタブレット純さんを見ていた。

そして時計を見たら、午前3時だった。

これはこれで、ちょっと見過ぎた。

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