2022/4/7 COMI✖️TEN 出演しました//あらやんのバイオリン教室YouTube開催中

「私の『0から1』の物語」第二章です。

🍵あらやんの独り言☕️

前回は、17歳でヴァイオリンを始めてからの歩みを書きました。

今回は、もう少し時計を巻き戻してみたいと思います。

私は昭和30年、1955年に生まれました。

戦争が終わって10年。

日本全体が、ようやく前へ向かって動き始めた頃だったと思います。

私が子どもの頃に住んでいた家は、6畳と4畳半、それに台所。

お風呂はありませんでした。

トイレも共同でした。

もちろん、家にピアノなどありません。

父は南海電鉄に勤め、当時「ちんちん電車」と呼ばれていた路面電車の運転士をしていました。

音楽家の家庭とは、まったく縁のない普通の家庭です。

でも、音楽がなかったわけではありません。

父は仕事から帰ってきて、機嫌が良くなるとギターを取り出して、よく歌を歌っていました。

私も歌うことが好きでした。

小学生の頃には、弟と二人でよく歌っていました。

そして私は、

「大きくなったら、ウィーン少年合唱団に入る」

と決めていました。

今考えたら、子どもの考えることです。

日本に住んでいる自分がどうやって入るのか、そんなことは何も考えていなかったのでしょう。

ただ、歌うことが好きだった。

今振り返ると、私の音楽の出発点はヴァイオリンではなく、歌だったのかもしれません。

17歳、テレビの前で人生が変わった

ヴァイオリンを弾きたいと思ったのは、17歳のときです。

テレビで国連の演奏会を見ていました。

そこでアイザック・スターンが、モーツァルトのヴァイオリン協奏曲第3番を弾いていた。

衝撃でした。

「これをやりたい」

そう思いました。

理屈ではありません。

それまでヴァイオリンを専門的に勉強していたわけでもない。

音楽大学を目指して準備していたわけでもない。

ただ、スターンの演奏を聴いて、

「これをやりたい」

と思ってしまったのです。

その後、実際にアイザック・スターンの演奏を生で聴く機会がありました。

テレビで受けた衝撃は間違っていなかった。

生で聴いて、さらに感動しました。

私にとってヴァイオリンとの出会いは、最初から理屈ではなく、音そのものだったのだと思います。

今考えれば、無茶です

17歳からヴァイオリンを始めて、私は京都市立芸術大学を目指しました。

不思議なことに、その頃の私は、

「無理かもしれない」

とは、あまり思っていませんでした。

でも、71歳になった今から考えると、

無茶です。

ソルフェージュの勉強もしていない。

ピアノも弾けない。

音楽大学を受験するための準備らしい準備を、それまで何もしていない。

受験前には、牛乳配達のアルバイトもしていました。

今振り返ると、ヴァイオリンを始めるのも遅い、お金もない、音大受験の準備も十分ではない。

よくそれで音楽大学を受けようと思ったものです。

今、私のところへ17歳の生徒が来て、同じことを言ったら、

「ちょっと待ちなさい」と言うかもしれません。

それなのに、当時の私は何の疑いもなく進んでいった。

今になって思います。

なんで周りの人は止めなかったんやろ。

でも、誰も止めなかったから、私は進んだのかもしれません。

父は反対しなかった

父は音楽の専門家ではありません。音楽の専門家ではありません。
南海電鉄の電車の運転士です。

私がヴァイオリンを始め、音楽の道へ進もうとしたときも、

「経済的な援助はできないけれど、自分でやるならやってみればいい」

というような姿勢でした。

反対された記憶はありません。

むしろ、応援してくれていたような気がします。

本心では、どう思っていたのかわかりませんが、、

17歳から突然ヴァイオリンを始めた息子が、音楽大学へ行くと言い出す。

親としては、ずいぶん心配だったのではないかと思います。

それでも、父は止めませんでした。

今考えると、それもありがたいことでした。

大学には合格した。でも、入学金がなかった。

そして私は、京都市立芸術大学に合格しました。

ところが、合格したのはいいのですが、

入学金と授業料がありませんでした。

そこで私は、親戚のところを回りました。

「大学に合格したので、お祝いをください」

今考えると、なかなかのことをしたものです。

何人かには、あとでお金を返しました。

でも、

「合格したお祝いなんだから、返さなくていい」

と言って、本当にお祝いとしてくださった親戚もいました。

そうやって、なんとか入学することができました。

幸いなことに、当時の授業料は今では考えられないほど安く、年間98,000円でした。

それも家から出してもらったわけではありません。

4年間の授業料は、自分でアルバイトをして払いました。

ただ、最後の半期分だけ、お金が足りなくなりました。

そのときは弟に借りました。

ずいぶん後になって、

「あのときのお金、返そうかな」

と言ったことがあります。

すると弟は、

「もういいわ」

と言いました。

結局、その半期分だけは返していません。それは今でも覚えています。

当時は、お金がなければアルバイトをする。

足りなければ、誰かに頭を下げる。

そして、ヴァイオリンを続ける。

それを特別な苦労だとは、あまり思っていなかったような気がします。

今は国公立大学でも授業料がずいぶん高くなりました。

もし私が今の時代に17歳だったら、同じような道を歩むことができただろうか。

それは、正直わかりません。

私には、楽器との幸運な出会いがあった

そして、私がヴァイオリン弾きになれた理由を考えるとき、どうしても外すことのできない人がいます。

奥野さんです。

私は若い頃から奥野さんのところへ通い、奥野さんが作った楽器を使わせてもらっていました。

奥野さんに準備していただいて自分で買った最初のヴァイオリンは、ミッテンヴァルトのオールドでした。

今考えても、あれはいい楽器だったと思います。

今、どこにあるのでしょう。

でも、奥野さんの作った楽器を弾くと、

「こっちの方がいいな」

と思った。

そして何より大きかったのは、奥野さんのところで、若いうちからいろいろな名器や名弓に触れさせてもらったことです。

見るだけではありません。

実際に手に取って、弾かせてもらいました。

これは、ものすごく大きな経験だったと思います。

良い楽器は、耳と感覚を育てる

私は今でも、ヴァイオリンの学習において、楽器は非常に大切だと思っています。

これは、「高い楽器を持てば上手になる」という話ではありません。

大切なのは、こちらが何かをしたときに、楽器がきちんと反応してくれることです。

弓の使い方を変える。
接点を変える。
左手の触れ方を変える。
すると音が変わる。

こちらの働きかけに対して、楽器が素直に答えてくれる。

そういう楽器で勉強すると、「自分がこうすれば、音はこう変わる」

ということを身体で覚えることができます。

若い頃からそういう楽器に触れることができたことは、私にとって非常に大きかったと思います。

しかも私は、奥野さんのところで名器や名弓にも触れさせてもらいました。

それによって知らないうちに、

「ヴァイオリンという楽器は、ここまで反応するものなんだ」

という基準が、自分の中にできていったのかもしれません。

今では少し名のあるイタリアのヴァイオリンでも、何百万円という世界です。

私が若かった頃とは、ずいぶん事情が違います。

だから私は、単純に値段の話をしたいのではありません。

学ぶ人間の働きかけに、きちんと答えてくれる楽器に出会えるか。

それは、ヴァイオリンを学ぶうえでとても重要なことだと思っています。

「音は素晴らしいね」

大学では、岩淵龍太郎先生に習いました。

先生は私のことをとても可愛がってくださり、

「音は素晴らしいね」

と言ってくださいました。

その言葉は、今でも覚えています。

後年、京都市立芸術大学の記念演奏会で、岩淵先生の弓が緩まなくなったことがありました。

そのとき私は、自分が持っていたトマッサンの弓と先生の弓と交換して、お貸ししました。先生の弓はドットだったと思います。

今になって考えると、岩淵先生も、私が良い楽器や良い弓を持っていることを分かっておられたのでしょう。

楽器や弓は、ただ音を出すための道具ではありません。

良いものに触れることで、耳が育つ。

手の感覚が育つ。

そして、自分の中に音の基準ができていく。

私は若い頃に、その経験をすることができました。

なぜ、私はヴァイオリン弾きになれたのだろう

17歳から始めた私が、なぜヴァイオリン弾きになれたのか。

71歳になった今でも、一つの理由だけでは説明できません。

おそらく私は、ヴァイオリンという楽器に対して、何かフィーリングがあったのだと思います。

でも、それだけではなかった。

父がギターを弾いて歌っていたこと。
弟と二人で歌っていたこと。
テレビで偶然、アイザック・スターンを見たこと。
父が私の進む道を止めなかったこと。
入学金がないときに、親戚がお祝いをくれたこと。
最後の授業料を弟が貸してくれたこと。
奥野さんが楽器を使わせてくれたこと。
若いうちから名器や名弓に触れさせてもらえたこと。
そして、岩淵先生をはじめ、私を育ててくださった人たちがいたこと。

どれか一つでも欠けていたら、どうなっていたでしょう。

私は英才教育を受けたわけではありません。

音楽家の家に生まれたわけでもありません。

家にはピアノもありませんでした。

17歳まで、ヴァイオリンを弾いたことさえありませんでした。

大学の入学金もなく、授業料はアルバイトをして自分で払いました。

それでも、ヴァイオリン弾きになった。

だからといって、

「努力すれば、誰でも夢は叶う」などと言うつもりはありません。

人生は、そんなに単純ではないと思います。

確かに、自分で歩いてきました。

でも今振り返ると、

自分一人で歩いてきたわけではなかった。

いろいろな人が、人生のところどころで手を差し伸べてくれていました。

そして、いくつもの偶然と出会いがありました。

その中で、自分でも理由を説明できない、

「これをやりたい」

という気持ちだけは、ずっとあったのだと思います。

17歳のとき、テレビの中のアイザック・スターンを見て、

「これをやりたい」

と思った。

あの瞬間から、ずいぶん長い時間が経ちました。

今、71歳になって振り返ってみると――

よくヴァイオリン弾きになれたものだと思います。

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