ヴァイオリンを弾くということは、考えてみればかなり特殊なことです。
毎日楽器を持って、同じところを何度も練習する。
ほんの少しの音程の違いを気にして、弓の速さや圧力、弦のどこを弾くかまで考える。
私にとっては長い間それが日常でしたから、特別なことをしているという感覚はあまりありません。
でも、世間一般から見れば、やっぱり特殊な世界だと思います。
だからこそ最近、特殊なことをする人ほど、「普通」という土台が大切なのではないかと思うようになりました。
昔から、
「音楽家なんだから普通じゃなくても仕方がない」
そんな言われ方をすることがあります。
でも私は、必ずしもそうではないと思っています。
これまで海外でも、日本でも、本当に素晴らしい音楽家に何人もお会いしてきました。
こちらの話を聞いてくれる。
普通にコミュニケーションができる。
もちろん、人間ですから性格はいろいろです。
でも、音楽が特別だからといって、人間として何もかも特別である必要はない。
むしろ普通の生活があり、普通に人と接し、その上で楽器を持ったときに、とてつもなく特殊なことをする。
私はその方が自然なのではないかと思っています。
「普通に弾く」ということ
これは演奏にもよく似ています。
以前、同級生に「普通に弾く」ということがなかなかできない人がいました。
何かを弾けば、必ず何か変わったことをする。
テンポを動かす。
音色を変える。
ビブラートをかける。
フレーズを大きく膨らませる。
もちろん、それも一つの表現です。
でも、ずっと何かをしていると、何が本当に大切な変化なのかが分からなくなることがあります。
全部が強調されていたら、強調ではない。
ずっとビブラートをかけていたら、ビブラートをかけた瞬間の意味は薄くなる。
ずっとクレッシェンド、ディミヌエンドをしていたら、本当に音楽が向かっていく場所が見えなくなることもあります。
だから、
普通に弾くことが、これはとても大切なことだと思っています。
ただし、ここで一つ気をつけたいことがあります。
技術がついてから、ではなくて今から。。
ある程度いろいろな技術を身につけた人だからこそできることでもあります。
でも初心者はまだ音楽を表現できないのでしょうか。
まったくそうは思いません。
ポジション移動がまだ自由にできなくてもいい。
弓を思うように扱えなくてもいい。
それでも、
この音はどこへ向かっているのか。
このフレーズをどう歌いたいのか。
ここをどんなふうに終わりたいのか。
今日からできます。
私は、この順番ではないと思っています。
「鉛筆が折れているから、今日は字を書けない」
「下敷きが壊れているから、新しいものを買ってから書こう」
とは考えません。
鉛筆が折れたら削ればいい。
必要なら下敷きを買えばいい。
そして、今すぐ字を書く。
ヴァイオリンも同じではないでしょうか。
そして、
「ここをこう弾きたいのに、できない」
というところが出てきたら、そのために必要な技術を練習する。
技術を全部揃えてから音楽を始めるのではありません。
音楽をやってるから、自分に何が足りないのかが見えてくるのです。
私の先生だった岩渕龍太郎先生が、こんなことをおっしゃっていました。
「わからないということが、わからない」
若い頃に聞いた言葉ですが、今になって、この言葉の意味をよく考えます。
自分が何をわかっていないのか、それがわからない。
実はそこが一番難しいのかもしれません。
逆に言えば、私は、
と思っています。
「ここをもっと歌いたい。でも、うまくいかない。」
そこまでわかれば、
弓なのか。
左手なのか。
ビブラートなのか。
音程なのか。
あるいは、そもそも自分がどう弾きたいのかが決まっていないのか。
次に何をすればいいのかが見えてきます。
初心者だからといって音楽を後回しにする必要はありません。初心者だからこそ音楽する。
まず音楽をする。
そこで問題を見つける。
必要な技術を練習する。
そして、また音楽に戻る。
私は、この繰り返しが練習なのだと思っています。
技術は、音楽のためにある
ヴァイオリンには、たくさんの練習曲があります。
左手を動かすための練習。
弓を自由に使うための練習。
速く弾くための練習。
正確に弾くための練習。
もちろん、どれも大切です。
でも、技術が増えれば音楽が豊かになるわけではありません。
反対に、まだ十分な技術を持っていなくても、何とか音楽を表現しようとしている演奏から、強く伝わってくるものがあります。
長く教えてきて何度も経験しました。
技術は、自分が感じた音楽を実現するための選択肢を増やしてくれるものです。
弓が自由になれば、できることが増える。
ビブラートを覚えれば、また一つ表現の方法が増える。
ポジション移動ができるようになれば、さらに音楽の可能性が広がる。
もう一つ、長くヴァイオリンを弾き、教えてきて感じることがあります。
指がよく動く。
弓が滑らかに動く。
難しいパッセージも弾ける。
もちろん、それは素晴らしい技術です。
でも、身体が自由に動けば、自動的に音楽が生まれるわけではありません。
反対に、技術的にはまだ少しぎこちなくても、
何とかこの音楽を表現したい。
という意思が伝わってくる演奏があります。
私は、そういう演奏に心を動かされることがあります。
モーツァルトなどを弾いていても、ただ滑らかに弓が動けばいいというものではありません。
一つ一つの音の発音があり、音と音との関係があり、アーティキュレーションがある。
何の抵抗もなく音が流れていくことで、かえって音楽の言葉が見えにくくなることさえあります。
技術は大切です。
普通があるから、特別が生きる
こうして考えてみると、生活でも演奏でも、同じなのかもしれません。
普通という土台がある。
その上に、特殊なものを積み上げていく。
音楽でも、普通に流れている時間があるから、一つの音が突然、特別な意味を持つことがあります。
何もしないところがあるから、何かをした瞬間が伝わる。
ビブラートをかけない音があるから、ビブラートをかけた音が生きる。
静かに流れるところがあるから、音楽が大きく動いた瞬間が伝わる。
そして初心者であっても、それは同じです。
最初から音楽をする。
その中で、自分に足りないものを見つける。
そして、そのために技術を学ぶ。
できることが一つ増えたら、また音楽に戻る。
簡単な曲でもいい。まず音楽をする。
そして少しずつ、できることを増やしていく。
特殊なことをするためには、普通という土台がいる。
生活でも、音楽でも。
その「普通」が一番難しく、そして一番大切なのかもしれませんね。