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🎻あらやんとバイオリン弾こか⑩🎻番外編 クヴァンツ フルート奏法より

🎻バイオリン🎻
🎻あらやんとバイオリン弾こか🎻番外編

クヴァンツ フルート奏法より

1752年に書かれたこのフルート奏法の本はとても270年前に書かれたとは思えない位、内容が現実的な教則本です。

もちろんフルート奏法の教則本なのでフルートのことが多く書かれているのですが、それ以外にその当時の習慣や当時の職業音楽家の暮らしぶりとかが読み取れます。

Johann Joachim Quantz

18世紀プロイセンをを代表する作曲家、フルート奏者。ドレスデン、ウィーンで学び、ドレスデンのザクセン選帝侯に使えた後、イタリアに留学。その経歴を踏まえ、1728年、プロイセン皇太子フリードリヒのフルートの音楽教師師となり、1741年、彼がプロイセン国王として即位して、フリードリヒ2(フリードリヒ大王)となると、王室音楽家兼作曲家として厚遇され、数多くのフルート協奏曲などを作曲した。『フルート奏法試論』は、単にフルート奏法を超えて、当時の音楽様式や演奏習慣を今日に伝える名著となっている。

今回はこの本の中からとても参考になりとても興味深い内容の文章をいくつか抜き出して皆さんに紹介したいと思います。

まずはこの文章から。

①さて、音楽家になろうと決心する前に、自分の才能が何に向いているかをよく考えてみるべきである。これがいつも正しく熟慮されているなら、今のように(将来もそうであろうが)ふさわしくない音楽家が続出することもないだろう。音楽の中でも才能のない分野を志すならどんなに良い指導のもとで努力を重ねてもいつも中流の音楽家の域を出ないからである。

🎻私の感想(翻訳が少し直訳っぽいので、わかりにくいけども、何が言いたいかと言うと、音楽に向いてない者は音楽家になるなと言うことでしょう。他の分野で頑張れば大成するだろうなぁ、、と思うような事は今も昔も同じですね)

②素晴らしい音楽家になりたいと思うものは、さらに疲れを知らずはつらつとした気力、愛、貧浴さをもち、努力と骨折りを惜しまず、この職業を取り巻くあらゆる困難を忍ぶことができると自覚しなくてはならない。音楽は他の文芸のような利益を与えてはくれない。また音楽で成功する人がいたからといって、その成功は大抵はかないものである。趣味の変遷、体力の衰え、去りゆく若さ、愛好家の減少(多くの音楽に携わる者の成功がそこにかかっているのだが)これらにより音楽の繁栄を妨げられ得る。ただこの半世紀を振り返ってみるだけで、経験がこのことを十分に証明している。

🎻私の感想(書いてある通りだと思います。この職業を取り巻くあらゆる困難、、今でもありますね。愛好家の減少、、当時からそうだったんでしょうかねぇ。。

③音楽に対する才能もあり、やる気もある人は良い師につかなければならない。そこで彼が偶然最高の師を選ぶなら、それはまさに幸運である。初心者は音楽に対する洞察力が持つが、えこひいきをしない人から忠告を受けると良いだろう。

🎻私の感想(良い教師に師事するって言う事は難しくてしかも重要で大切なことですね)

④精魂込めて音楽をやり役立とうとする人が最初から良い教師に巡り会えるなら、非常に得をする。初歩を学ぶためすぐさま、良い教師につく必要はないと言う先入観にとらわれている人々がいるが、これは有害である。彼らはしばしば倹約しようとして、謝礼は安いが自分自身まだ何も知らない人に付くことも稀ではない。私はその逆を進める。最初からたとえ他の人に対するよりも、23倍多く払うべきであっても、出来る限り良い教師に付きなさい。将来はもはや支払わなくて済むだけでなく、時間と労力の節約になる。良い教師の下では悪い教師のところで多分10年かかって学ものを一年で学ぶ取ることができる。

🎻私の感想(このクヴァンツの教則本の中で、これがけっこう気に入っている文章です。ほんとに270年も前も同じことが起こっていたのです。時代が進んだからといって科学は進歩したかもしれませんが、人はそうそう簡単には変わらないと言う事です)

⑤学ぶ意欲のあるものは1つのことについてしばしば注意されたからといって、うんざりしてはならず、むしろそのような指摘は自分の不注意の証拠であり、また教師の責務であると受け取り、しばしば注意を促す教師こそ最上の教師であるとみなすべきである。自分の欠点に気をつけるべきである。それがわかり始めたらもう半分できたことになる。生徒が教師の間を渡り歩くことほど害になる事は無い。演奏の仕方や弾き方が異なるために初心者は混乱し、いわば、いつも第一歩からやり直さなければならないからである。なるほど自慢しようとするときに、多くの良い教師に着いたことを特別視する人も多い。だが彼らがそれらの巨匠から多くのものを学んだとはほとんど思えないのである。師匠から師匠へと渡り歩くものは誰にも好まれず、また誰をも信用できず、また信用していない人に教えられたものは快く受け入れないのが普通だからである。

🎻私の感想(私は常に教え方と言うものを研究していますが、時に自分もレッスンを受けに行くことがあります。教え方も大切とは思いますが、習い方と言うものも大切だと思います。良い受け取り方をすればそれだけ早く進歩すると言うことです。

よい教え方とよい習い方のコンビネーションが大切なのです

⑥進歩しようと努力する際に、忍耐が続かず他の人たちが止めるところから始めようとしたりしてはならない。このような過ちを犯す人がいるのである。彼らはまだそこまでいっていないのに、難しい曲を練習に選び、音符をきちんと引かず不明瞭に演奏する癖をつけたりする。

私の感想(これは、、曲を演奏してて難しいところで止まってしまう。そこを解決しなければ先に進まない。常にそこで終わってしまう。要するに自分が弾ける簡単なところで終わってしまうことのないようにがんばりましょうと言うことでしょう)

6つの項目を今日は紹介いたしましたが、これは音楽を職業にしようという人に対しての厳しい文章です。しかしながら楽器を演奏するという事は職業であれ趣味であれ同じです。

例えばベートーベンのシンフォニーを演奏する際に、自分には難しいからここの音をやめようと言うわけにはいかないのです。モーツアルトの弦楽四重奏曲を演奏する際に短い弓の使い方ができないから音を長く弾いていいって言うものではないのです。

バイオリンの職人の世界も同じです。

一級品のバイオリンであれ初心者が使う楽器であれ調整する手間は同じです。一級品だから心を込めて調整するとか、初心者用だから適当で良いと言う事は無いのです。

野球も楽しむためにはルールがあります。

アマチュアの野球だからと言ってプロ野球のルールと違うルールで野球をしたところで楽しくありませんね。

いかがでしたか?興味深かったでしょう。

270年前の文章です

まだまだ面白い文章が続きます。またの機会にこのクヴァンツの教則本からピックアップして皆さんにご紹介したいと思います。

(つづく)

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