ヴァイオリンも同じです。
楽器の持ち方、左手の形、弓の持ち方、音の出し方。
何年、何十年と弾いているうちに、それぞれの人の中に「自分のやり方」が出来上がっていきます。
それは決して悪いことではありません。
むしろ、長い時間をかけて身につけてきた大切なものです。
けれど最近、改めて思うことがあります。
ということです。
「この方が楽だから」
レッスンをしていると、手の形や身体の使い方を少し直した方がいいと思うことがあります。
そんなとき、「でも、私はこの方が楽なんです」と言われることがあります。
もちろん、それは本人にとって本当に楽なのだと思います。
長い間その使い方をしてきたのですから、違う動きをすれば、かえって弾きにくく感じるのは当然です。
けれど教師として見ていると、もう少し先が見えることがあります。
今は問題なくても、この形のまま進めば、
だから私は、現在だけを見て注意しているわけではありません。
この先、その人がもっと自由に弾けるようになるために、今どうしておいた方がいいのか。
そこを考えています。
ただし、ここはとても難しいところです。
人間の身体は、一人ひとり違います。
腕の長さも違えば、指の長さも違う。
肩の形も、首の長さも、関節の柔らかさも違います。
年齢によって身体も変わります。
病気や怪我によって、以前できたことが難しくなることもあります。
ですから私は最近、ますます、
全員にとって正しい一つの形などないのではないか、と思うようになりました。
だからといって、「本人が楽なら、何でもいい」とも思いません。
基本の形を学ぶことは、身体を一つの型に押し込めるためではないと思うのです。
むしろ、将来もっと自由に動けるようになるために、基本を学ぶ。
私はそう考えています。
自由とは、好き勝手にすることではない
これはヴァイオリンだけの話ではないように思います。
自分の好きなようにすることが自由なのか。
自分が楽だと思う方法を選ぶことが自由なのか。
もちろん、それも一つの自由でしょう。
でも技術を習得する世界では、少し違うように思います。
今の自分にとって楽な方法を選び続けた結果、できないことが増えてしまったら、それは本当に自由なのでしょうか。
逆に、最初は少しやりにくくても基本を身につけたことで、あとになって様々なことが自由にできるようになる。
だとすれば、
しかし、その型に縛られてしまったら、それもまた自由ではない。
この辺りに、教えることの難しさがあります。
そんなことを考えていて、ふと自分自身のことを振り返りました。
長い間ヴァイオリンを弾いてきました。
けれど、
と思います。
①左手について考え直したこともあります。
②ポジション移動を一から見直したこともあります。
③ボーイングについて、それまで当たり前だと思っていたことを疑ったこともあります。
楽器の構え方もそうです。
最近でも顎当てや肩当てをいろいろ試しました。
「こちらの方がもっと良いのではないか」
と思って変えてみる。
しばらく弾いてみる。
そして結局、元に戻ることもあります。
でも、私はそれでいいと思っています。
なぜなら、
元に戻ったとしても、以前と同じ場所に戻ったわけではないからです。
試して、考えて、失敗して、比較した。
その経験を持って戻っている。
以前は感覚的に「これがいい」と思っていたものを、
「なぜこれが自分に合っているのか」
と理解して戻っているのです。
それは同じ場所に見えて、実は違う場所なのだと思います。
0に戻ることは、後退ではない
何かを長く続けていると、「せっかくここまでやってきたのだから」
という気持ちが出てきます。
一度できるようになったものを壊すのは、もっと怖い。
そして新しいことを始めれば、一時的に以前より下手になることさえあります。
そんなとき、
「前の方が楽だった」
「前の方が弾けた」
と思います。
でも、そこで戻る前に、一度考えてみる。
今、自分は新しいものを身につけようとしている途中なのではないか。
物事を本当に習得していくためには、時には自分が身につけてきたものさえ疑ってみる勇気が必要なのだと思います。
これは音楽だけではありません。
勉強でも、仕事でも、スポーツでも、芸術でも同じでしょう。
経験を積むことは大切です。
けれど、それと同じくらい、
自分の経験に縛られないことも大切です。
若い頃には、
「これが正しい」
と思っていたことがたくさんありました。
長く続けているうちに、
「こういう考え方もあるのか」と思うことが増えてきました。
それは、自分の考えが弱くなったということではないと思っています。
むしろ、いろいろな人を教え、自分自身も失敗し、試行錯誤してきたからこそ、一つの答えだけでは説明できないことが見えてきたのかもしれません。
だから今、物事を習得する上で、とても大切な心得の一つは、
ではないかと思っています。
0に戻るということは、今までやってきたことを捨てることではありません。
20年やってきた人なら、20年の経験を持って0に戻る。
50年やってきた人なら、50年の経験を持って0に戻る。
だから、本当の意味では0ではありません。
それまでの経験を全部持ったまま、もう一度、新しく出発する。
何歳になっても、
「本当にこれでいいのだろうか」
と自分に問いかけられる。
そして必要なら、もう一度最初からやってみる。
私はこれからも、そんなふうにヴァイオリンと付き合っていきたいと思っています。
物事を学び続けるというのは、案外そういうことなのかもしれません。