「なぜそこまで音色にこだわるのですか?」
そんな質問を受けることがあります。
音程やリズムも大切です。
速く弾けることも、難しい曲を弾けることも素晴らしい。
しかし私が長年追い求めてきたのは、その先にある「音色」です。
最近、「メメント・モリ」「ヴァニタス」「カルペ・ディエム」という三つのラテン語に出会いました。
驚いたのは、その言葉が何百年も前のヨーロッパの思想でありながら、私が長年感じてきたことと深く重なっていたことです。
メメント・モリ──「人生には終わりがあることを忘れるな」
ヴァニタス──「この世のものはすべて儚い」
カルペ・ディエム──「だから今日という一日を大切に生きよ」
この三つは、別々の言葉ではなく、一つの人生観なのだと思います。
そして私は、その考え方は音楽そのものにも当てはまると感じています。
音楽は、音を出した瞬間から消えていきます。
絵画は何百年も残ります。
彫刻も建築も形として残ります。
しかし、音楽だけは違います。
二度と同じ音は戻ってきません。
だから私は、一音一音を大切にしたいのです。
私は長年、「音色とは何か」を考え続けてきました。
そして一つの結論にたどり着きました。
音色は偶然ではありません。
左手のタッチが弦の振動を決め、その振動を右手が育てていく。
そこには理由があり、仕組みがあります。
けれど最近思うのです。
この考え方は、単なるヴァイオリンの技術論ではないのではないか、と。
自然界では、原因があって結果が生まれます。
春になれば芽が出る。
水は高いところから低いところへ流れる。
美しい花も、やがて散ります。
音も同じです。
無理に力で押さえつけても、美しい響きは生まれません。
弦が最も自然に振動できる条件を整え、その振動を邪魔しないように育てる。
私は、その「自然に逆らわない演奏」こそが、美しい音色を生むのだと考えています。
考えてみれば、人生も同じなのかもしれません。
人生には限りがあります。
美しい時間も永遠ではありません。
だからこそ、今日という一日が尊い。
だからこそ、一音が尊い。
だからこそ、人との出会いも大切になる。
この三つの言葉は、私に「人生の哲学」を教えてくれました。
そして私の音色理論は、その哲学と決して別のものではありません。
音楽とは、自然の法則に耳を澄まし、限りある時間の中で、一瞬の美しさを形にする芸術なのです。
だから私は今日も、一音一音を大切に弾き続けたいと思います。