いつも使っている同じ楽器。
肩当ても顎当ても昨日と同じ。
なのに構えてみると、
「あれ? 今日はヴァイオリンが肩に乗らないな」
と思う。
何度か置き直してみる。
少し位置を変えてみる。
それでも何となく落ち着かない。
「どうやったら乗るんだろう」
そんなことを考えながらヴァイオリンを構える日が、あります。
長い間ヴァイオリンを弾いてきましたが、これは決して珍しいことではありません。
なぜなら、
昨日と今日では、肩の状態も違う。
首の感じも違う。
背中の張り方も、身体の重心も微妙に違います。
ところが私たちは、ヴァイオリンの「正しい構え方」というと、つい一つの決まった形があるように考えてしまいます。
もちろん基本は必要です。
しかし、人間の身体は機械ではありません。
毎日少しずつ違う身体に、昨日とまったく同じ形を強制しようとすると、どこかに無理が出てきます。
すると、その小さな無理が左手を固くし、ポジション移動を難しくし、ビブラートを止め、やがて右手にも影響してきます。
私はむしろ、
その日の身体が、どこなら自然に楽器を受け入れてくれるのか。
そこを探した方がいいと思っています。
構えるというのは、毎日同じ「形」を再現することではない。
その日の身体と楽器との関係を作ること。
そう考えた方が自然です。
私は以前、二挺のヴァイオリンを所有していました。
ビジャッキとデガーニです。
デガーニはほんの少しだけ大きな楽器でした。
私には肩の張りが強く感じられ、身体との間に少し抵抗がありました。
もちろん、これはデガーニという楽器の良し悪しではありません。
実際、そのデガーニのE線は、何ものにも代えがたいほど美しい音色でした。後にも先にも、あれほど美しいE線の響きには出会っていません。
今でも覚えています。
ただ、私の身体との相性という点では、ビジャッキの方が自然だった。
そのデガーニは現在、私の弟子の手に渡り、ドイツのオーケストラで現役の楽器として活躍しています。楽器と身体との相性は、本当に人それぞれなのだと思います。
なぜかビジャッキは肩当てを外しても弾けます。
これが自分でも不思議なくらいなのですが、構えると、何の抵抗もなく身体に入ってくる。
「ここに置かなければ」と探さなくても、自然に場所が決まる。
おそらく、アウトラインが私の身体に合っているのでしょう。
ヴァイオリンというものは、胴長や横幅といった数字だけでは分からないものがあります。
そうしたものの組み合わせが、身体に触れたときの感覚を作っています。
同じ4/4のヴァイオリンでも、構えた感じは一本一本まるで違います。
これは楽器を選ぶときにも、とても大切なことだと思います。
試奏すると、どうしても音を聴きます。
「G線が太い」
「E線がきれい」
「よく鳴る」
もちろん、それも大切です。
でも、その前に一度、
楽器を構えたとき、自分の身体がどう感じているか
を見てほしい。
肩を上げていないか。
顎で押さえていないか。
左手で知らないうちに楽器を支えていないか。
そして何より、
何もしなくても、その楽器が自分のところへ来てくれるか。
これは数分音を出しただけでは気づかないこともあります。
楽器との相性は、練習にも現れます。ある楽器なら一度でできることが、別の楽器では何度も繰り返さなければできない。そんなこともあります。
単純に音の良し悪しではありません。
楽器と身体との間に抵抗が少なければ、左手も右手も余計な仕事をしなくていい。
そして、その分だけ、
「楽器を弾く」ことではなく「音楽をする」ことに集中できる。
今では、これも楽器の大切な性能の一つだと思っています。
そして、いつも身体によく合っている楽器でさえ、
今日はどうも肩に乗らない。
そんな日があります。
そんなとき私は、それほど慌てなくてもいいと思っています。
ヴァイオリンがおかしくなったわけでも、昨日できた構え方を忘れたわけでもない。
ただ、
それだけのことかもしれません。
ヴァイオリンを身体に押しつけるのではなく、今日の身体と楽器が自然に出会う場所を探してみる。
ヴァイオリンの構え方とは、本来そういうものなのかもしれません。
身体は毎日同じではない。
だから、構えも毎日まったく同じである必要はない
長くヴァイオリンを弾いていると、そんな当たり前のことに、ふと気づかされる日があります。